自分の人生を肯定シリーズ:その1 「私で良かった!娘と自分の人生を比べてみる」

うちの娘が、中学生になってから結構苦戦しています。

確かに思春期というのは、心が成長していく過程で何かと問題も多くなるものですし、思い返せば自分自身も沢山ストレスのかかった時期だったなと思います。

小さなことがとても気になり、感情も不安定になります。

フラクタル心理学では、自分の子どもは親の深層意識の投影だと考えます。

そのことは重々承知していますが、それでも自分自身は決してやらなかったことを子どもがするなら、少し納得いかない気持ちにもなりますね。

では、なぜ親に似ていないなと感じることを子どもがするのか?

それは、兄弟姉妹と同様に、子どもという存在も「自分が選ばなかった選択肢」を生きているからです。

潜在的に可能性として自分が持っていたものを体現してくれているのです。

だからこそ、良いも悪いも、もう一人の自分が、自分自身の代わりの人生を生きてくれているという感じです。

こんなふうになってみたかった。

まさに、娘は私の理想そのものである生き方をしてきました。

というのも、娘はまず、スペイン人とのハーフで、顔もスタイルも抜群に良いため、それだけで周囲からちやほやされて育ちました。

さらには両家にとっての初孫であり、弟が生まれるまでの4年間は、4人の祖父母にとって唯一の孫でした。

どれほど可愛がられたか、どれほどの貢物が届いたか・・・・・。

まさに山積みとなっているプレゼントの写真が、残っています。

では私は?と言えば、長女ではあったけれど、すでに何人もの従妹がおり、そこまでの注目はありませんでしたし、赤ちゃんの頃から祖母の家で大きなお姉ちゃんたちと一緒に過ごす時間があり、その中では末子的な扱いを受けていました.。

母も祖母も中間子だったので、割と放任でした。

また、妹に比べて私は地肌が浅黒く、決してお世辞にも「かわいいお嬢さん」という感じではなかったので、特にちやほやされることもなく育ちました。

だからこそ、うちの娘のような境遇の子がいたなら、すごーく羨ましかったはず。

すると、自分の娘がその望みを叶えるがごとく、そうなるということです。

しかし人は、「得るものがあれば支払うものもある」いうことを、体験するまで本当の意味では理解できていません。

さて、結局うちの娘が手に入れることができなかったものは何なのか?

それこそが、私自身の人生の中で手に入れてきたものなのです。

あまりにも当たり前に手に入れたものは、それを認識していません。

だからこそ、私が私だったから手に入れることができたもの、というのは、、周りをみて初めて気付くことができます。

それに気づけば気づくほど、自分と自分の人生を肯定でき、満足感も増えていくのかもしれませんね。

(その2へ続く)