当たり前の中に宝物を探そう

実は私、文章を書くということが、あまり苦ではありません。

というよりも、書くことが結構好きなのです。

これはうちの娘も同じでして、誰も強制していないのに、よくお友達に手紙を書いたり、その日に気付いたことをメモしたり、物語を創作したりしております。

このようなことは、自分にとって当たり前の日常でしたので、文章を書くことが苦手だという方が世の中にかなりの割合でいらっしゃるのだということを知った時には、とても驚きました。

自分が当たり前にやっていることは、他の人もやっているんだろうと勝手に思ってしまうものですので、実はそれが「自分の得意」なのだと気が付くことが出来ません。

なので、当たり前の中にこそ、実はお宝が眠っているということは、よくあることなのです。

さて、文章を書くということについてですが、実は私は、子供の頃から引っ越しをする機会が多かったのです。

それで、引っ越しをする度に、以前住んでいた町にいる友達に定期的に手紙を書いていました。

今となってはメールやSNSなどで、遠くにいる友達と簡単に連絡が取れてしまいますが、当時はお手紙が主流です。海外に住んでいる外国人の友達と文通をする「ペンパル」というシステムも大変流行っておりました。

ということで、友達に手紙を書くことは、私の日常の一部だったのですが、今となってはこれがとても良かったのだと思うのです。

日記やメモ書きなどだと、自分で後から読んで分かればいいので、まあある意味どんな文章でも構わないわけです。しかし、手紙というのは常にその先に読む相手がいるものです。自分だけが分かる文章ではなくて、相手に分かってもらう文章を書かなければ中身が伝わりませんよね。

ですから、何度も自分で書いたものを読み返して、意味が分かりにくいなと感じる部分があれば書き直し、最後はきれいな字で便せんに清書をするんです。小さい頃に手紙を書いていたことで、私はこういったことを自然に身に付けることが出来たのだと思います。

実は文豪と呼ばれる小説家達はほとんど皆、その生涯の中で膨大な数の書簡を書き残しています。

手紙を書くということは、相手を常に頭に思いながら書くことです。その人にどう伝わるのか、これを読んでどんな気持ちになるのか、理解してもらえるのかどうか、そんなことを想像しながら文章を書きます。

その先にどんな人がいるのかを想定しながら、その相手に伝わる文章を書くこと。これは、マーケティングやコピーライティングの分野でも、基本中の基本である考え方ですよね。

私が人に伝わる文章を書けているのかというと、そこはよく分かりませんが、少なくとも書くことが苦痛ではないというのは、アドバンテージであると感じております。

 子供の頃、住む場所が転々と変わったことの中には、もちろんメリットもあればデメリットもあるでしょう。しかし、こんなところにメリットがあったのだなということに、最近になって気が付きました。

 皆さんも、自分がこれまで生きてきた環境、やってきたことなどを再度洗い出して、自分にとって当たり前だったということに是非、注目してみて頂きたいなと思います。

それこそが、自分にとって大きな宝物なのかもしれないですよ。